Mk-2通信

思いついた事や本のレビューを書いたりしたいと思います。

びっくりドンキーにて

大学1年の頃。授業には毎回行っていたが、一生懸命勉強するでもなく惰性で大学に行っていた。地方の公立の大学。県内の学生は、授業料が安い。地元の中学の前にある大学だった。我ながら親孝行だったと思う。東京の私立大学に比べたら、コスパは断然よい。

 

びっくりドンキーは大学時代によく行っていた。最初は、ボロっちい店だと思っていたが、アメリカの農家(?)のようなカントリー調の内装はなかなか個性的である。県外に出て、びっくりドンキーが県外にもあるんだという事に少し驚いた。大皿でハンバーグをお箸で食べるスタイルはありそうでなかったから、それがウケたのかもしれない。

 

大学1年から、ずっとtwitterにはまっていた。あれは悪魔のアプリだ。時事ニュース、旬なエンタメ情報、お気に入りやリツイートをたくさんもらった人気急上昇のツイートなどありとあらゆる情報が手の中のスマホに集まり、自分に降り注いでくる。

 

初めはとても楽しかった。自分の世界が急激に広がり、前よりもっと自由になれた気がした。

しかし、twitter はあまりにも自分の生活に入り込み過ぎた。多くの時間をtwitter に奪われてしまった。自宅に帰ってから3時間もやってれば、それはもう病気と言われてもしかたない。

 

自分自身や、自分を取り巻く世界について表現した言葉を並べて呟いたところで、そんなものを正しく100パーセント理解して読むことができる人なんてこの世に存在するはずがない。

 

そんな自分だけの言葉を誰かが、理解し共感してくれる事を期待して呟く。運良く共感してもらえた時は、お気に入りがもらえるからだ。これが、自己承認欲求に火をつける。

 

人は誰かとのつながり無しでは、生きていく事ができないのかもしれない。いい意味でも悪い意味でもつながりを保てるtwitter のようなSNSに自然と人はアクセスしていく。誰かと繋がっていく。

 

けれど、人生は一回生のものであり、有限だ。限られ残された時間を何に使うのかを考えないといけない。時には、スマホから離れ、孤独になることも良いのかもしれない。長い人生、数ヶ月くらい孤独になったところで大勢に影響は実際のところないだろう。

 

ネットでつながることにより孤独から解放されるとか、自分はひとりじゃないと感じられるのが素晴らしいのもしれない。

 

けど、いいんじゃないのか人間は孤独で。

 

結局、孤独を愛せたもん勝ちだと思う。孤独になって、孤独を感じきることも必要な経験かなと思う。

 

常にスマホで指を動かし、処理しきれない情報を脳みそに与え続けてると、情報に踊らされてで道を見失うことにもなりかねない。あるいは、まやかしの道しか見えてこなくなってくる。

 

それこそスマホを捨てて、孤独になってしばらくすると、自分の周りにも道があるんだという事に気づくんじゃないか。

 

そんな事を薄暗闇のびくドン店内で考えていた。